なんでダイビングじゃなきゃダメだったんだろう?
こんにちは。
伊豆ラフィンダイビングスクールのイケダと申します。
(お客様に撮っていただきました)
あなたが小学校の卒業文集に書いた将来の夢はなんでしたか?
お父さんやお母さんの職業に憧れて、同じ仕事を書いた人もいるかもしれません。
僕の父親は手先が器用で、ドアや障子を作る建具屋という仕事をしていました。
僕は絶望的にその才能を受けつかず、「宇宙飛行士」と文集に書きました。
選ばれた人だけが行ける、未知の世界への探検。
まだ見ぬ宇宙人や隕石、説明がつかない物理法則を発見し、そして持ち帰る。
実際はそこまでなりたかったわけじゃなくって、同級生の石田くんが「宇宙飛行士って書こうぜ」って誘ってくれたから書いただけです。
いつの間にか、その夢は叶ってしまいました。
宇宙船に閉じ込められたまま、
無機質なモーター音を聴きながら、
分厚いアクリル板の向こうに広がる空間を眺めるだけではありません。
エキサイティングな無重力状態での船外活動もしています。
見たこともないヘンテコなデザインの宇宙人とも遭遇しています。
もともと予備校で講師をしてました。
美大とか芸大に行きたい子たちのための小さな予備校でした。
恥ずかしながらこの仕事は、大学生の頃のバイトがそのまま卒業しても続いてしまったものでした。その頃の僕は将来何をしたいのか、まったくわからないまま就職活動に乗り気になれなかったんです。人生を送る目的も方向も手段もわからなかった。
でも講師の仕事は楽しかった。
出来た、理解ったの瞬間、彼らが見せる笑顔がすごく嬉しかった。
こちらの教え方を変えると、彼らの理解のスピードも変わったことに驚いた。
素質とか環境じゃなくって伝える側のやり方がすごく大切だと言うことがわかったのもためになった。
確かに楽しい仕事ではあるけど、そんな刹那的な感情でずっと続けていってはいけないな、でも何をやったらいいかわからないなって悶々としてたある日、大学の友達のシゲが教えてくれた一言が僕の人生を変えました。
「小笠原で漁師を募集してるらしいよ」
今考えてもよくわからないんですが、たしかに稲妻が僕の頭に落ちたんですよね。
で、小笠原の漁協の電話番号104で調べて電話しました。
ダイヤル式の公衆電話、長い市外局番でした。
今でも覚えてます。04998。
僕「あの、漁師さん募集してるって聞いたんですけど・・。」
漁協の人「いいえ、してません」
秒殺。
いつもの僕ならそこで電話切るんですが、この時は何故か違いました。
僕「なにかそちらで未経験者でも出来る仕事はないですか?給料とか要らないんです」
漁協の人「あー養殖の方ならバイトがあるかな」
僕「行かせてください」
ということで、当時比較的暇な受験シーズンから春期講習始まる前の期間、無理やり休みもらって小笠原丸に乗りました(本当はぜんぜんヒマじゃなくてすごく迷惑をかけました。古森先生、金子先生ごめんなさい)。
海、すげぇ
島についたら「ギョサンをコイワイで買ってきて」とだけ言われて、海パン1枚で小さなボートで沖に浮かんだ養殖場に連れて行かれました。飼ってるのはマダイ、シマアジ、カンパチ、それと葛西臨海水族園で展示するウメイロモドキが少しでした。たしか。
(小祝商店はこの通りにありました、というか今もあるはず)
シマアジの親魚は釣りキチ三平のどこぞの主のようにでかいし、マダイは餌をあげるだけ食い続けて終わりのタイミングがわからないし、休憩中(と言っても生け簀の上なんですが)釣りをするとハリセンボンがかかるし、水音で振り返るとでっかいエイが現れるし。みんなマンタだ!って騒いでたけど、その頃の僕はマンタという単語すら知らなかった。休暇の日にドルフィンスイムに連れてってもらって、港でた途端にイルカ群れに囲まれて。
(初めて見る野生のイルカ、感激したなぁ)
ただただ驚き、そして決めました。
「海すげぇ。海で僕は生きたい。」
ダイビングの道へ。
内地に戻り、講師の傍らどうしたら島生活ができるか考えました。
島はとにかく娯楽が少なかった。
海しかなかったので、マリンスポーツを趣味にしようと考えました。
ドルフィンスイムのときに息が続かなくて苦しかったことを思い出して、「スキューバダイビングならできるかな?」と考え、Cカードを取りに行きました。
でも僕はダメ人間でした。水が怖かったんです。
マスククリアも鼻から塩素の味する水いっぱい飲んで、「池田くん、しょぼいからもう1日プールやろう」って言われました。
それでもダイビングしたかった。
僕の人生、これだと思っちゃった。1997年のことです。
最初は「おまえにはまだ早い」と言われるポイントばかり。
はやく上級者ポイントに潜らせてもらいたくて、いっぱいいっぱい練習しました。
今考えるとあまり練習したって自覚はなかったかもしれません。
楽しくて楽しくて。
「最近頑張ってるからこれくらいのところ連れてってやらなきゃな」と突き落とされた激流の海、オーバーヘッドの波、大物に遭遇して絶叫して、洞窟と光のシャワーを浴びて、小さい命のひたむきさに心わしづかみにされて、自然の造形美に感心して、好きなことだけで繋がった年齢も職業も違う人たちとゲラゲラ笑い合う。
僕はそんな海という宇宙に夢中になり、子供の頃の夢を結果的に叶えました。
海中は器材がないと呼吸すら出来ないという点では、宇宙と同じです。
NASAの宇宙飛行士は大きなプールにセットを組んで、船外活動の練習をしているほどです。
あ、タコみたいな宇宙人がいるなとあなたが思った生命体は、おそらくタコです。
「こっちの世界に、ようこそ」
プールで塩素の水を味わいまくったあの日から、あっという間に20年以上。
いろんな失敗を乗り越えながらインストラクターになって、自分のスクールを経営できるようになりました。僕はダイビングを知って、海を知って人生が変わりました。
・好奇心の正しい満たし方
・困難や障害(不慣れなこと)の受け入れ方
・ダイビングを日常や人間関係に活用できる方法
・なくならないストレスとの付き合い方。
・正しい努力はけっこう報われるということ。
月並みな言い方ですが、みーんなダイビングが教えてくれた気がします。
僕も最初はここまで海にハマるつもりはありませんでした。
「宇宙飛行士って書こうぜ」と誘ってくれた石田君。
「小笠原で漁師募集してるらしいよ」と教えてくれたシゲ。
彼らの一言がなければ、僕の無意識は海に反応しなかったはずです。
本当に感謝しています。
彼らのように「誰かの人生のプラスになれる存在」になりたくて、
僕は伊豆でダイビングスクールをやっているのかもしれません。
今振り返って、僕がアマチュアだった頃感じていた海へのワクワクをこのコーナーで書いていこうと思います。
あなたもダイバーになりましょう。
こっちの世界に、ようこそ。